Hello Shinsaibashi Osaka!!! その2

UPDATE : 09/27/2019/DESIGNER

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さて、今月20日、関西エリア初の直営店となるKATSUYUKIKODAMA PARADIDDLE 大丸心斎橋店がオープンした。大阪は僕にとって様々な気持ちが交錯する特別な場所。そこで前回から、久々に”KK的「私の地図」”シリーズを発信!僕にとっての「大阪」を語らせていただきます。

Spot 02. 僕にとっての大阪〜大学時代:大阪が大好きだったので、進学先は大阪の大学ばかりを調べていた。大阪に住んで大阪の大学に行って阪神を応援しながら大学の仲間たちとヘヴィメタルのバンドを組む…、高校時代はそれが夢だった。一人旅で行った大阪にはロン毛で脚がほそほそのロンドンスリム+ウエスタンブーツを履くメタル野郎たちに何度も遭遇した。もちろんそんな風貌をした若者は当時大分にはいなかった。修学旅行で行った京都の清水寺の参道にメタル系のブロマイド屋があったんだけど、販売員のバンドマンのお兄さんが当時オジーオズボーン・バンドにいたジェイク・E・リーに似ててめちゃくちゃカッコよくて、お寺にお参りもせずにそのお兄さんとトリビュートアルバムが出たばかりのランディ・ローズのことをたくさん話しした。大阪(←当時の僕にとって京都・神戸も含む関西のこと)にはメタルのバンドマンが本当にたくさんいた。日本のメタルシーンは、LOUDNESSやEARTHSHAKER、44マグナムなどが精力的に活動する大阪が主戦場だったんで、バンドブームとメタルムーブメントが一緒に巻き起きていたんだろう。80年代にアメリカ・LAでおきたハードロック/ヘヴィメタルムーブメントによく似ている。阪神もあればメタルムーブメントが活況の大阪で生活するようになることは僕にとっては必然の流れだった。ところが兄が東京の大学に合格したことで、僕の人生が予定外の方向へ進み始める。ある日両親から「兄ちゃんが東京であなたが大阪だと家賃も倍で仕送りも大変なんで、東京の大学に進学して兄ちゃんと一緒に住んでくれないか?」と言われた。確かに地方から息子2人を県外に進学させるのはめっちゃお金がかかるのはわかっていたので、親から大阪ではなく東京へ行けって言われるんじゃないかなぁと薄々思ってはいたんだけど、両親からの正式な要請を断ることもできず、断腸の思いで大阪移住計画をあきらめた。で、東京の大学を探し始めることなって、そのまま東京へ進学したんだけど、大阪への想いは途切れることなく続いていた。叔母さんも大阪にいたので僕はちょくちょく大阪へ遊びに行った。1990年に開催された「大阪・花の万博」の野外ステージに大好きな東京メタルバンドのANTHEMやLOUNDNESSのVo.だった二井原実率いるDED CHAPLINらが共演する夏フェスがあるって知っていざ大阪へ。新幹線で向かう途中、名古屋から乗ってきたツアー途中のANTHEMのメンバーと遭遇。東京から観にいっている旨をメンバーに伝えたら、リーダーの柴田直人さんとDr.のMAD大内さんがめちゃくちゃ喜んでくれた…、なんてこともあった。東京ドームや神宮球場で行われる阪神タイガースの試合もよく観に行った。1985年の日本一から一転、バース帰国、掛布引退、フィルダー騒動などの影響から阪神は優勝の2年後の87年に最下位に転落した。そのまま弱体化の一途をたどるんだけど、僕が大学4年のシーズンに亀山や新庄、久慈ら若手に加え、オマリー・パチョレックの活躍からヤクルトと熾烈な優勝争いを演じた。シーズン終盤のヤクルト戦、神宮球場での天王山も観戦しにいったんだけど、野村采配に惜しくも敗れ2位がほぼ決定。帰りに六本木のハードロックカフェに寄ったら、何とさっきまで神宮球場でプレイしてたオマリーばったりと遭遇。2人前以上あるシーザーサラダをがっつり食べるオマリーと握手をするも、悔しさのあまりオマリーの目にはうっすら涙がたまっていた(←ほんまかいな?)。大学4年間を東京で過ごした僕は、実家大分には帰らず東京で就職したんだけど、よほど大阪愛が強かったんだろう、就職したその会社は大阪が本社だった。でも東京採用だったし東京本部での配属で転勤や出張もほぼないみたいだったから、学生時代ほど大阪へは行けないだろうなと思っていた。ところが2年後にひょんなことからまたまた大阪が身近になってくるようになる。

その3につづく〜